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 でんでんむしむしカタツムリ、自然栽培の六次産業を目指します!
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無農薬、無肥料稲作栽培の記録から
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日本の稲作の歴史1(縄文時代)
みつからない水田跡と農具
 日本の稲作がいつから始まったかを考える場合、土壌に堆積したプラントオパールや土器に残された「稲の籾らしき跡」から、その可能性を縄文時代晩期の紀元前3〜2千年前頃まで遡ることができる。ただし見つからないのがこの時代の水田跡や稲作にかかわる農具である。
 このため、例え「稲の籾らしき跡」やプラントオパールが見つかったとしても、それだけでは稲作が行われていた証拠とはならないとする考えがある。(参考文献1)

◆焼き畑陸稲の可能性
 その一方で、水田や農具が無くとも、焼き畑による陸稲栽培であれば、稲作はできるとする考えがある。確かに東南アジアでは焼き畑による陸稲栽培が営まれる事例はある。
 しかし日本の焼き畑作(昭和30年代まで行われていた)で陸稲が播かれたとの記録は見つからない。そしてまた稲作の起源を考えた場合、稲作は焼き畑ではなく、始めから水田から始まったとする考えがある(参:稲作の起源)。さらにインディカ種を別とし、稲は野生種に近づくほど多年生の性質を強くし種子の発芽(参:稲の発芽)は不安定となるから、直播きを主とする焼き畑栽培とは相性が悪い。このため苗代といった特殊な環境を用意しなければ、なかなか稲の育苗はできるものではない。
 これから考えると、仮に縄文時代に焼き畑が行われていたとしても、やはり陸稲は播かれていなかったとの印象を強くする。いずれにしても紀元前3〜2千年前頃の縄文遺跡からは、未だ明確に稲作が行われたとする遺物は見つかっておらず、仮に稲作が行われていたとしても、それは現在に連なる「稲作」とは大部様相の異なったものであったと想像される。
 
◆縄文海進
 ここで視点を変え、縄文時代の気候と水田のか関係を考えてみる。縄文時代は紀元前1万年前から紀元前500年まで続いたとされるが、この期間、地球の気候は大きく変動している。
 七万年前から続いた最終氷河期は1万年前に終了し、その後、紀元前4千年頃まで気温は大きく上昇した。これに伴い海水面も急激に上昇し、前田保夫「大阪湾の自然史」(1977)の研究によると、瀬戸内海は1万年前から6千年前(紀元前4千年前)までの4千年間に32mほど海面が上昇している。これを縄文海進と言う。


 


◆平坦地の出現
 この期間、河川からの流砂により形成される平坦地は、それが育つ毎に海水面の上昇で海没したと思われる。その結果として海没していく平坦地は遠浅の海を作り出し、魚介類豊かな自然を形成して縄文文化を開花させた。
 紀元前4千年以降は現在よりも3mほど海面が高かったが、その後、幾度かの下降・上昇を繰り返し、海水面は次第に現在の高さに近づく。世界最古と言われる稲作跡は中国の長江流域で見つかっているが(参:稲作の起源)、これは紀元前5千年で縄文海進が終焉する1千年ほど前となる。なお最古の水田跡は、同じ中国の草鞋山遺跡参:水田の起源で、これは起元前4千年である。
 日本列島は中国長江流域に比較して地形が急峻であり、そのため海面上昇の終焉する紀元前4千年を待たなければ、水田を行おうにも、それが出来る場所は限られていたであろう。それ以降は低平地や低湿地が形成され、これが日本における稲作萌芽の重要な要素になったと思われる。





◆神話から考える縄文期の農業と稲作の始まり

 「日本語はいかに成立したか」で大野晋は、瓜子姫の民話から縄文期の農業を推測している。この民話は日本各地で様々な差を生じながら伝えられるが、それら共通項を取り出せば、より古い時代の原型を復元でき、民話が変遷過程が推測できる。この変遷過程は以下のようである。

(第一次:イモ栽培の始まり)
 この民話の原型に近いものに瓜子姫が天の邪鬼に食べられ、切り刻まれた体の一部が土に埋めらるとした部分がある。神話学者はこれをイモの株分け栽培と関連させ、瓜子姫の民話はそもそもイモ栽培を意味しているとしている。この株分け栽培は稲作の起源と併せ考えても興味深い。

(第二次:粟・稗栽培の始まり)
 その後、天の邪鬼が殺され、その血で稗・粟が生まれとする内容が追加される。これは粟稗栽培の始まりを示唆する。

(第三次:稲作の始まり)
 さらに、日本書紀にはウケモチノカミの死体、各部位から稲を含む各種雑穀と蚕が生まれるといった神話がある。これは内容的に瓜子姫民話の系統を引き継ぐ神話で、ここで始めて瓜子姫の民話にが登場する。

 以上の瓜子姫神話の変遷から考えても、稲作はイモ栽培や粟・稗栽培に比較して、より遅い時代に日本に渡来したことが推測できる。

【記:平成20年12月29日】

◆ニューギニア人と米
 以下は本ブログ著者が、ニューギニアで農業支援に携わった知人から教えてもらった話である。
 もともと焼き畑のイモ栽培を主食とするニューギニア人の一部では、米食が急速に普及しつつあるとのことだ。米食が普通の日本人には気が付かないことだが、イモ食主体のニューギニア人にとって、米食は麻薬にも似た強烈な魅力があるらしい。
 しかしながら、そういったニューギニア人の多くは稲作をするわけでなく、豪州産米を購入している。結果、米食を理由とした借金に陥るニューギニア人が絶えないと言う。
 この事例から考えれば、縄文晩期にしばしば発見される炭化米も、これと同様に他国から運ばれた遺物であった可能性が捨てきれない。
 なお隣国のインドネシアでは焼き畑による陸稲栽培が営まれているが、ニューギニアでは焼き畑はあるが陸稲は無いとのことである。
 またインドネシアの焼き畑陸稲は、人口増を理由としてか焼き畑サイクルが短くなり、森林荒廃の一因とされる。しかしニューギニアではサイクルが長く、良く森林は保全されているという。このためインドネシア人がニューギニアを訪れて驚くのは、焼き畑森林の土壌が、インドネシアのそれに比較して、とても良く肥えていることである。この違いは焼き畑サイクルの長短に起因するようである。

【記:平成21年1月3日】
 
▼ 参考文献1
   「稲作の起源」  池橋宏 著
 (平成18年12月10日 講談社 発刊)
▼ 参考文献2
  「日本語はいかにして成立したか」 大野晋 著
 (平成14年4月15日 中央公論新社 発刊)

 田んぼに関わる専門用語と、田力つながりで用いている用語を解説します。
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