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田力ノート無農薬、無肥料稲作栽培の記録から
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2008.08.28 Thursday
干拓(かんたく)
もともとは沼や湿地、あるいは干潟であった場所に堤防を築いたり、トンネルを掘って排水するなどして、水田などの陸地に開発すること。
宮城県で盛んに干拓が行われたのは以下の時期である。 (1)江戸時代中期(新田開発) 新田開発により藩の石高を高めるため干拓が行われた。 (2)昭和初期(救農対策) 窮乏する農村の経済を底上げするため、「救農」を目的として干拓が行われた。これは干拓を公共事業として実施し、そこで雇用される農民の収入向上を狙ったものである。また農地を所有しない小作農家を干拓地に入植させ、自作農を創出させる目的としても行われた。 (3)終戦直後(食料増産) 敗戦により生じた食糧難と失業対策を目的として干拓事業が行われた。この集大成として八郎潟の干拓事業がある。 昭和40年代になると、それまでに増産してきた米は供給過多となり、新たに水田を開発する「開田」行為は禁止された。これと併せて水稲の作付け面積を減ずる「減反政策」が始まり、以後、農地の干拓は減少していく。なお全国から公募された希望者が八郎潟に入植したのと、「減反政策」が始まったのはほぼ同時期である。 ▼参考文献 「宮城県土地改良史」(平成6年 宮城県) 【記:平成19年9月10日】 田んぼに関わる専門用語と、田力つながりで用いている用語を解説します。 下記の説明文中「黒」で記す部分は一般的な認められた事項を、「青」で記す部分は、田力つながり仲間で解釈している事項を記載しております。 コメント
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