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自然栽培の田力の米
農薬を使わないお米、肥料を使わないお米を宮城県から全国に発送します。

 自然栽培米のお届け

【2012年産の新米 出荷開始】

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 いにしえの品種、その野性味が自然栽培でよみがえります。
宮城県色麻町から

【2012年産の新米 出荷開始】

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 自然栽培のササニシキを天日干しにしてみました!おてんとの味わいをお楽しみください。
宮城県色麻町から

【2012年産の新米 出荷開始】

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 でんでんむしむしカタツムリ、自然栽培の六次産業を目指します!
宮城県石巻市和渕から

自然素材の農業資材
工場は津波で流された。だけど竹チッパーは10トン車の下から発掘できました!

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田力ノート

無農薬、無肥料稲作栽培の記録から
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3章 律令制の成立
◆科挙の不採用

・日本の律令制で特徴的なのは科挙を実施しなかったことだが、これは単に当時の日本に、それを行うだけの漢学的教養の裾野が狭かっただけのことである。


 山本七平氏にしては珍しくあっさりと結論づけている。
 科挙は人を登用する際の基準となるが、科挙以前に、既に日本人には別の登用基準があり、それゆえに科挙が採用されなかっとは考えられないか?



◆班田収授法

・班田収授の法は律令制度の基本となるが、人口が増加すれば、それに応じて農地を増加させねばならない。

・また人民も口分田を受ける公民となって租庸調の公的負担を負うよりも、無戸籍人となり植地に潜り込むほうが負担が軽く、早晩、班田収授法は崩壊する運命にあった。

・ただし、この法により農地開墾が進んだのも事実である。


 以下、班田収授法の成立と終わりまで経緯を記載するが、この法が機能したのが実に短い期間だけだったことがわかる。



646年 大化改新にて戸籍、計帳ととに班田収授法の必要を説く

670年 戸籍作成

689年 飛鳥浄御原令により班田収授法が施行される?

701年 大宝律令により本格的に班田収授法が施行される。

733年 主として奥羽の地を対象とする「百万町歩開墾計画」が構想される。

→開墾の負担から逃げ出す農民が多く、企画倒れとなる。

723年 百万町歩開墾計画の実現のため「三世一身法」が成立し、灌漑施設(溝や池)の新設による墾田は3代まで私財化が認められる。

743年 一層の墾田を進める田ため「墾田永年私財法」が成立。

765年 墾田永年私財による富豪、大寺院の墾田私有化が加熱したため、太政官符の発布により墾田私有を禁止。

772年 大寺院や藤原氏など富豪の圧力により、墾田私有が許可となる。

桓武天皇(781年〜806年)6年1班を12年1班に改め、班田収授の維持を図る。

902年 後醍醐天皇による班田が、最後の班田となった。




(班田収授法の崩壊の背景)
 人口が増加すれば、配分農地の不足により、班田収授法は崩壊することはよく理解できるし、その農地を確保するために、盛んに蝦夷征服が試みられたとも想像できる。

 しかしながら、蝦夷征服が困難を極めたとしても、それにより班田収授法が崩壊したわけでもなさそうで、そもそも寺社や富豪に免税的特権を与えた荘園認めている時点で、班田収授の継続的徹底には無理があったようである。それにしても、なぜ、そういった寺社や富豪が特権的な立場にありえたのか?

(近代〜現在の農地動向)
 話は変わるが、現在の日本において、班田収授法は施行されていない。これは当たり前のことだが、一方で、近代以降の農地情勢は班田収授法の経緯とやや似たような歴史を辿っているように思える。

 明治の地租改正により農地は農家個人所有物として法が担保したが、その後、農地は特定地主に集積されていく。特に第一次大戦後の経済的不況は、土地持ち農家から農地を奪い、彼らを小作人に陥らせた。このため、昭和初期頃から、自作農創出を目的とした農地開墾事業が盛んに行われるようになる。また満州事変の遠因にも、蝦夷征服に似た、新たな開墾地獲得といった目的があったように思う。

 第二次大戦後の農地解放は、小作人となった農家を再び土地持ち農家に復帰せしめたが、平成に入り再び農地は集約化に動く。もっとも、戦前の農地集約が土地の所有権の集約化だったのに対し、平成以降のそれは、耕作作業の集約化といった違いがある。




◆権威と権力の分立


・日本の律令制度で特徴的なのは、権力を司る太政官に並列し、祠祭を司る神祗官を設けたことである。

・これにより常に権力は権威と分離され、この体制は幕府体制まで引き継がれる。

・祭儀権を重用する傾向は、卑弥呼の時代から見られる。


(変わる農業政策と換わらぬ農村刊行)

 
 権威とは「正しきこと」の拠り所であろうし、権力とは「変化に応じて他を従わせる」力であろう。

 先に、明治〜平成の農地動向に注目した農業政策の変化を記載したが、このような時代の変化を農民に従わせようとする農業政策は権力により為される。

 → 太政官に相似?

 一方で、農村に暮らす人々にとっての「正しきこと」とは契約講に代表されるような、昔から営まれている社会慣行が拠り所であり、これは農村の氏神的な神社などや仏事など宗教的権威により担保される。

 → 神祠官に相似?
  
【記:平成23年7月9日】


 山本七平著「日本人とは何か。」をテキストに、日本社会及び日本の農村社会の構造を考察しております。テキストを要約した部分を茶文字で、本ブログ著者の所見につていは青文字で記載しております。

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