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自然栽培の田力の米
農薬を使わないお米、肥料を使わないお米を宮城県から全国に発送します。

 自然栽培米のお届け

【2012年産の新米 出荷開始】

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 いにしえの品種、その野性味が自然栽培でよみがえります。
宮城県色麻町から

【2012年産の新米 出荷開始】

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 自然栽培のササニシキを天日干しにしてみました!おてんとの味わいをお楽しみください。
宮城県色麻町から

【2012年産の新米 出荷開始】

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 でんでんむしむしカタツムリ、自然栽培の六次産業を目指します!
宮城県石巻市和渕から

自然素材の農業資材
工場は津波で流された。だけど竹チッパーは10トン車の下から発掘できました!

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田力ノート

無農薬、無肥料稲作栽培の記録から
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総督府治下の朝鮮農村部(衣服と住居)
 以下、「大東亜共栄圏と農業」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


    衣服は大抵木綿織で、古来綿花を栽培して糸を紡ぎ手織としたものであるが、近来は内地から移入している。

 綿花に次いで麻・苧(からむし)麻等たくさん栽培している。麻布は主として夏服及び喪服であり、絹布は上流社会に用いられ、農家では晴衣に用ひるに過ぎない。養蚕も行はれ生糸も国内の需要を充している。

 また染料も藍を栽培して自ら染色する。今では大分内地の服装と同じ様に改めるやうに成ったが、それでも老人や婦人が従来の服装をしている。

 男子服は大抵支那服に似て、太き股引やうのものを穿き、長さ腰に達する上衣を著し、足袋を穿き、冠を戴き外套をつける。

 女子の服装は男子と同じ様に緩かな股引の上に更に袴の様なものをつけ、上衣は短く胸部において袴と相接する位で、一般に下級社会の女子は乳房を露出して平気でいる。

 また一般に半島人は薄著の習慣であって、子供等は夏中ほとんど半裸体である。冬といえども只綿入を著るだけで何枚も重著することは無い。要するに半島服は決して完全なものではないが、その中にも幾多の美點を認むるものである。

 また履物に至ってはその原料は植物性と動物性との二種で、前者は即ち木・藁・葛・麻・藤・萩の皮などで、後者は牛・馬・犬その他の獣類の皮である。木履は木を刳りて足形となし、丁度舟形である。草履は藁・麻・葛・萩の皮等にて造り、足部を被ふに足る半靴形して、靴は木履と同じく舟形で多くは犬の皮から造るのである。

 要するに半島の履物は内地のそれの如く鼻緒式のものは一つも無い。そして何れも舟形・靴形に出来ているのである。

 家屋は総て平屋造りが二間に三・四間の大さのものが多い。草葺にして土壁を以て周囲を塗り固め、床は石と泥にていわゆるオンドル式に造り、炊事の温気がことごとく床下を通して、室内を温むる装置となっている。

 元来木材が非常欠乏しているから木を用ひること甚だ少なく、窓は大抵三尺二三寸のものが二つで、障子を開閉する様に出来ている。だから室に這入るには腰を屈めて這入り、室内は光線不足のために、陰気である。

 大抵土間のアンペラまたはむしろを敷きその上に起居するのである。加うるに不潔して虱・蚤・南京虫・油虫等甚だ多く、かつ常に暖かいから年中蠅が絶えることが無い。夏は蚊も盛んに襲来するのである。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「大東亜共栄圏と農業」/谷本亀次郎 著/昭和16年10月6日発行/秦文館



 田んぼに関わる専門用語と、田力つながりで用いている用語を解説します。
 下記の説明文中「黒」で記す部分は一般的な認められた事項を、「青」で記す部分は、本ブログ著者が解釈している事項を記載しております。

| - | 14:55 | comments(0) | - | pookmark |
総督府治下の朝鮮農村部(食文化)
 以下、「大東亜共栄圏と農業」より引用

 

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


  半島の生活状態半島人の食物は大体において内地によく似ている。即ち穀類を主食として、蔬菜・肉類を副食としている。

 飯は普通米と麦若しくは大小豆で混炊してもので、山間部では粟飯・高粱飯・雑穀飯等がある。飯櫃に移す代わりに真鍮製又は焼物の鉢に山盛にして一人前盛り切りである。老若男女の別なく一杯の盛り切りである。

 山間部の米の充分無いところは馬鈴薯及び玉蜀黍を夏季の常食としている処がある。多くは蒸したまま食し時としては玉蜀黍を粉となし団子を造ることもある。

 副食物としては漬物が主である。その材料は胡瓜・白菜・大根・水芹等で多量の香辛料・ニンニク等を入れて塩漬とする。之を漬汁と共に鉢に盛り、匙を以てその汁を吸ひ次で漬物を食する。

 味噌は大豆と塩の二素で造ったものので、又唐辛子を多量に加へる。醤油は大豆と小麦と塩で作ったもので何れも臭気が強い。

 一般に肉食をなし、寒村といえども、豚の得られない所が無い。農家は各自牛・豚・鶏を飼養し、之を市に販売し、又は自家用に供するのである。

 また冬春の蔬菜の一つとして大豆のモヤシを多く用ひる。之は大豆を桶に入れ、二・三日水に浸して取出し、少しく空気に触れしめ、再び桶に入れて莚を覆ふて置くと発芽する。芽の二三寸伸びた頃用ひるのである。

 豆腐も堅い灰色な粗製ではあるが、粕も分離して、苦塩汁で固めたもので滋養価値は内地のものと大差は無い。

 小豆で一種トコロテン様のものを作る。之は小豆を粉砕して粕を去り、澱粉と蛋白質とを同時に煮て固めたもので、黄色をなしている。魚類も盛んに消費される。海岸地方には鮮魚が多い。

 ともかく唐辛子とニンニクは半島料理に欠くべからざるものので、如何なる料理にも之を加へる故に、農家は各自に之を栽培している。

 蔬菜類では胡瓜・南瓜・西瓜・まくわ瓜・ポンキン・茄子等で殊に胡瓜は夏季の常食として穀類の経済を計る処がある。ポンキンは赤・黄種々の大瓜で、貯蔵して冬季の食用に供する。

 なお最も広く栽培せらるるものは、瓢の一種で之は食用でなく、熟果を鋸にて半分に挽割り、内容物を除去し、外皮を乾燥して容器に用ひる、そしてこれ等の南瓜・ポンキン・胡蘆(瓢)等は、屋敷の周囲に植え屋根の上に這はしめるのである。

 また酒は彼等の日常の飲料で、その消費は盛んである。濁酒・清酒・薬酒・焼酎の四種で前の三種は何れも米で造り、後者は馬鈴薯・玉蜀黍・燕麦類より作るのである。

 大抵の半島人は煙草を嗜好して老若男女の別なく喫煙するの風がある。彼等は家内と野外とを問はず、長大なる煙管を手放すことが無いほど嗜好している。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「大東亜共栄圏と農業」/谷本亀次郎 著/昭和16年10月6日発行/秦文館



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 下記の説明文中「黒」で記す部分は一般的な認められた事項を、「青」で記す部分は、本ブログ著者が解釈している事項を記載しております。

| - | 14:53 | comments(0) | - | pookmark |
総督府治下の朝鮮農村部(主な農産物)
以下、「大東亜共栄圏と農業」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 また農作物の主なものには、

【米】 米は半島農産物中、第一に位する重要品で半島人が日常の糧食として消費する高は莫大であるも、なお内地に移出する高もまた第一位にある。就中慶尚・全羅の南部の地、その産出多く、黄海・忠清・京畿これに次ぎ、北方の地方最も少なし。

【麦】 大麦・小麦を主とし、燕麦これに次ぎ、裸麦は少し、大麦らは春蒔・秋蒔ありて、京城以北は春蒔多く、以南は秋蒔多し、小麦は秋蒔、燕麦は春蒔多く山間狭溢の地に栽培するもの多し。

【綿花】 綿は江原道の東沿岸および咸鏡道を除く外各地ぼとんどこれを栽培せざるなきも、全羅・慶尚の両道は産地にして、忠清南北両道に次ぐ、綿質繊維長くして弾力に富み、各種の用途に適する、近年米国種・陸地綿の栽培盛んになり、内地に移出する量漸次増加しつつあり。

【煙草】 半島における特殊農産物の最も重要なるものである。全道至るところ、その栽培を見ざる無く、京畿・平安・江原・忠北・全北・慶南・黄海の諸道は何れも主産地に属し、これら主産地には専門の技術官を派遣し、改良発展に奨励している。又各地に煙草試験場および専売所を設置している。

【人参】 薬用人参は半島の名産で、至る所に産する古来高麗参と称し、世界に尊ばるるは京畿道開城附近に産するものに限っている。故にこの地方は古くより人参栽培盛んに行はれ、従って耕作法も大いに進歩している。当局においては紅参専売法を施行してその栽培を奨励している。

【果実】 半島の風土は極めて果樹生育に適しているので、京城・仁川・釜山・大邱・太田・半塘・三浪津等初め、各地果樹栽培に従事するもの多し、桃・梨・芋果・柿・ナツメ、その他良品を生産している。

【畜産】 牛は農耕に使用し、運搬用を兼ね、肉用として需要を極めて多く、又乳牛も到処に飼養す。体格偉大・体質強健にして、しかれども性質温順なるを以て、児童もよく之を牧御し得べく、其の価格もまた廉にしてかつ使役及び肉用に適するを以て内地に移出し、ソ連・支那に輸出している。
 馬は体格矮小なれども比較的力強くよく険路峻阪の跋渉に耐へ、主として運搬・耕用に利用せられ、性温順なれば子供もよく之を牧御し得るのである。
 ロバは乗・駄兼用に両用するもその数少なし、
 豚は普ねく飼養せられ、牛と同じく到る処見させるなし、其の生産・牛に次ぐ、体格矮小、晩熟にして品種優良ならざるも近来大に改良したいり、多くは冬季の食用とし、剥皮すること無く熱湯を注ぎて毛を去り、食するのである。
 その他山羊・家禽・密蜂等の飼養も近来盛んとなる。

【蚕業】半島における家蚕業は古来より行われたるも僅かに自家用に過ぎざりしが、総督府の奨励により、近来大に発展して内地同様在来の面目を一新するに至った。社会の各種階級を通じて簡易適切なる副業なるを以て、将来各般の発達を見ることは明らかである。
 作蚕業は従来ほとんど経営するもの無かりしが、近来当局の指導奨励により、多数の飼育者を見るに至り、さの産額大に増加し、将来有望の産業となっている。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「大東亜共栄圏と農業」/谷本亀次郎 著/昭和16年10月6日発行/秦文館



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| 稲作の歴史 | 14:17 | comments(0) | - | pookmark |
総督府治下の朝鮮農村部(農村構造の課題)
以下、「大東亜共栄圏と農業」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 由来半島における耕地の所有者は彼の王族・閥族・両班に属する門閥家にして、他は概ね小作人である。ゆえに今日なお小作人の多き実に驚くべき程にて常に他人の田畑を耕作して一生小作人にて甘んずるもの比々として皆しかりしかして少数の大地主は大体都会に住居を構へ、悠々安閑・逸楽を事とし、己が所有地に代理人を置きて小作地を整理し、小作人を監督せしむるものもある。

 この不在地主の割合は、地方によって異なるが慶尚北道における最近の状態は耕地約39万町歩中、約13万町歩は不在地主の所有である。これが朝鮮農業問題の癌というべきものであろう。元来朝鮮の地主は負債が多く、従って土地は担保を通じて内地の金融資本家ほ移行せられんとするのである。

 その小作法は三種にして一は地主土地を貸与し、小作人自ら地租および種子を出して耕作し、収穫の三分の一を地主に納付するものと、二は地主が地租及び種子を負担し、その収穫物を折半するものと、三は毎年豊凶に拘わらず小作料の一定せるものとある。

 しかして一般に行わるるは、三分の一法と折半法である。半島人の小作人は地主に対して滞納をなすこと少なきは、安じて長く小作人たらんことを希望しているからである。

 また半島人は耕作地の面積を表すに、単に作物の収穫高あるいは耕鋤の功程または播種量によって結・耕・落の名称を用いる。一結というは収税上の便宜による名称にして、普通民間においては一斗落・一日耕を以て面積を表す単位としている。即ち一斗落とは籾一斗を播下すべき地積をいひ、一日耕とは一頭の牛と一人壮丁とによって一日に耕耘し得られるべき地積をいうのである。

 従って一斗落といひ、一日耕というも場所によって異なり、人によって差があるが故に一様にあらず半島人が犂鋤をなすに特に耕・落を限りてこれを請負はしむることがあり、人と牛とを借りてこれを耕をしむことがある。また単に牛を与へて人に耕さしむる等種々である。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「大東亜共栄圏と農業」/谷本亀次郎 著/昭和16年10月6日発行/秦文館



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| - | 14:13 | comments(0) | - | pookmark |
総督府治下の朝鮮農村部(その風土と歴史)
以下、「大東亜共栄圏と農業」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 朝鮮半島は南北250里・東西約60里あり、北部の森林帯を除きては地は概して禿山多く、一見る耕作地に乏しきがごときも、その間に沃野、肥田また決して少しとせず、気候また農作物に適し、とくに南部の諸地方は生育佳良にして、米作地として将来非常に有望である。

 中部地方においては冬季梢寒気酷烈なることありといえども、キビ類のごとき冬作物の腐敗する恐れなく、かつ四月以降は気温昇るが故に生育良しく、また空気乾燥せるを以て収穫物の品質が良好である。

 なお夏作物中水稲のごときは風土よりいへばその生育良好なるべきも、未だ用水の設備完備せざるところもあって挿秧(田鴨 注)「田植え」の意味)意のごとくならず、あるいは旱害を被ることあり、水害を被ることもあるも、近年総督府の保護・奨励・指導の効果多いに顕はれ、総ての農事において内地とさして変わらざる程度に進歩したる地方も見受くるに至れるは喜ぶべきことである。

 しかしそのごとく半島の農作物生育に適するにも拘わらず、従来久しく満目荒涼の感ありて開発の後れしゆえんのものは、けだしその理由とする処、半島人の自覚足らざりしによるものである。

 由来半島人は久しく太平を夢み、遊楽に耽り、惰眠をむさぼるの因襲によりて、旧慣墨守を敢てし、何等改良進歩の途を講ぜず、只自然のままに委するのみであったからである。

 しかし又人煙稀疎にして生活程度低く、組織粗放なりしを以て、萬難を排してこれが開拓に努力するの必要も無かったからであろう。又一方においては彼等の知識・技術及び資本乏しく、加うるに旧時は国法備わらず、官吏は不法にして良民を虐げ、所有権の保持にも困難ありしを以て、自然に土地は荒廃に帰せしものであろう。

 従って農家の収入はその勤労に比して甚だ少なく、特に農民の窮乏は金肥の購入すら不可能ならしむるのみならず、封建的農業経営の慣習からも肥料の使用は極めてわずかであると共に多角的経営としての副業に対する知識と設備を欠くことも朝鮮農業の一つの欠陥に数えなければならないのである。

 さらに農民生活においては7月以後、秋の収穫までの端境期はほとんど米食をなさず、その多くは雑穀ないし野生の草根・木皮によって生活を維持するがごとき状態である。これは農民が幾多の使途に追はれて現金収入を必要とし、米の大部分を収穫と同時に売却するからに外ならない。

 これに対する更生計画ももちろんたてられているのである。また火田整理年次計画等も進められ、未開墾地利用から、水利を開き農法の改良等も奨励されている。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「大東亜共栄圏と農業」/谷本亀次郎 著/昭和16年10月6日発行/秦文館



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| 稲作の歴史 | 13:57 | comments(0) | - | pookmark |
大正時代の朝鮮稲作
以下、「米問題と農村」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 朝鮮も古来米穀を主食物として発達したる国なるも、世界の文化に疎く教育普ねからず、産業振るわず、国民は概して共同の精神に乏しく、利己的にして永遠の計りもなく、山林は濫伐して水源枯渇し、耕地は荒廃に傾き生産極めて乏しき状態なりしが、帝国に併合せられし以来地盤を測定して地籍の基を作り、農業を指導奨励して治水開発に努め、以て百年の長計を樹つるに至れり。
 その結果米作の収穫年次増進し大いに見るべきものあり、今その作付け反別及収穫高を示せば、

年次    作付け反別(甲) 収穫高
明治43年 1,125千町歩  9,093千石
明治44年 1,333千町歩 11,656千石
大正 元年 1,376千町歩 10,546千石
 同 二年 1,420千町歩 12,156千石
 同 三年 1,468千町歩 14,385千石
 同 四年 1,505千町歩 13,244千石
 同 五年 1,523千町歩 14,391千石
 同 六年 1,536千町歩 14,079千石
 同 七年 1,548千町歩 15,318千石
 同 八年 1,552千町歩 12,686千石

 ここに最近の実収高を示せば、

大正 九年  14,882,352石
 同 十年  14,324,352石
 同 十一年 15,014,293石
 同 十二年 15,213,189石

 にして人口1,831万人、米の消費量1,263万石(一人あたり平均6斗9升)差引移出余力270万なりという。

  附記 朝鮮水田中約8割は天水に依るものにして現在1反歩当たり収穫9斗前後なるも、これを灌漑水田と為せば、優に一石三斗以上の収穫を得る見込みあり。
 又現在、草地あるいは干潟の類にして水田と為し得る見込みのもの約20万町歩ありという。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「米問題と農村」/栗城精一著/大正14年1月20日発行/丁未出版社



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大正時代の台湾稲作
以下、「米問題と農村」より引用

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 台湾米作は往古藩人の耕作せしものなるも、支邦人の移住以来漸く開発せられたものなりという。
 明治30年、わが領土に帰したる後は、官民共にこの米作に力を注ぎし結果、著しき発展を見るに至りたり、今作付反別及び収穫高を示せば、

 年次   作付け反別 収穫高

明治32年 340千甲歩 2,050 千石
大正 元年 496千甲歩 4,046 千石
 同 二年 510千甲歩 5,126千石
 同 三年 515千甲歩 4,608 千石
 同 四年 506千甲歩 4,785 千石
 同 五年 486千甲歩 4,649 千石
 同 六年 481千甲歩 4,834 千石
 同 七年 488千甲歩 4,632 千石
 同 八年 492千甲歩 4,820 千石


備考:1甲歩≒0.97町歩、作付反別の内二期作に適する水田約6割を占めるという。



 台湾は其の位置熱帯地に属し気温甚だ雨量亦潤沢にして二期の作付に適す。しかして一期作は5月より11月までとす。

 大正12年の収穫の収穫は一期作に於いて3,594,527石、二期作において2,264,870石、合計5,859,397石なりという。ただし、二期作面積は11年度291,481甲歩、12年度291,009甲歩なりとす。

 台湾人口は総計3,753千人にして中、内地人149千人、台湾人3,497千人、外国人21千人、藩人86千人なり。 米の消費量は356万万石(一人平均 9斗5升)にして、移出余力は平年230万石なりという。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆


出典)「米問題と農村」/栗城精一著/大正14年1月20日発行/丁未出版社



 田んぼに関わる専門用語と、田力つながりで用いている用語を解説します。
 下記の説明文中「黒」で記す部分は一般的な認められた事項を、「青」で記す部分は、本ブログ著者が解釈している事項を記載しております。

| 稲作の歴史 | 12:41 | comments(0) | - | pookmark |
サルノコシカケ
サルノコシカケ科









平成25年10月2日
きれいなサルノコシカケに出会いました。

平成25年は涼しい7月と暑い8月、残暑は少なく、
9月中旬には結構涼しくなりました。



注1)森と人との関わりに関係する記録を綴っています。
注2)黒文字は一般事項を、青文字は編者らの雑感を、茶文字は文献からの引用を記してます。
注3)場所の記載が無い写真は、宮城県加味地方の山林で撮影しています。


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JUGEMテーマ:キノコ狩り
| キノコ | 20:03 | comments(0) | - | pookmark |
萩/ハギ
マメ科ハギ属、秋の七草のひとつ



















 秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ

 雲の上に鳴きつる雁の寒きなへ萩の下葉はもみちぬるかも

 雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり 


 萩は『万葉集』でよく詠まれる花で、鹿や雁と併せ詠まれることが多い。萩が彩る静寂の秋に、鹿と雁の鳴き声が良く染みいるのだろう。









 萩は宮城野萩が最も美しいと言われる。そして秋の雁は、宮城にその多くが飛来する。それゆえに、萩と雁が織りなす万葉の歌は、宮城にこそ、その情感を深める。

 しかし、万葉の頃、宮城は未だ蝦夷の勢力が残る東夷の地であり、万葉歌の舞台があったとは思えない。

 この頃、雁は日本全国に飛来していた。それは、日本各地に、雁の外敵を防ぐ湿地が各所にあったからである。このような自然の大地は、江戸時代以降、順次開拓されていった。現在において、雁が羽を休めることのできる湿地は 数少なく、その大部分が宮城県北部に集中する。日本に飛来する雁の八割が、そこで越冬すると言われる。


注1)森と人との関わりに関係する記録を綴っています。
注2)黒文字は一般事項を、青文字は編者らの雑感を、茶文字は文献からの引用を記してます。
注3)場所の記載が無い写真は、宮城県加味地方の山林で撮影しています。

| 万葉カラー | 01:33 | comments(0) | - | pookmark |
ハス/蓮、はちす
ハス科多年性水生植物。





休耕田を覆うハスの花
 『遠藤農園』 にて(H21.8.26) 










伊豆沼にて(H19.8.26)



 宮城県北部には伊豆沼などのいくつかの大きな沼がある。

 これらは岩手から注ぐ北上川が宮城の平野に入り、その支流が低平な地形勾配のため十分に自らの流水を北上川に注ぐことができず、そして形成された湖沼群である。  昭和初期まで、この伊豆沼沿岸では染め物が営まれ、その水質は清浄であった。また湖岸には砂浜が広がっており、様々な魚介類を育みながら漁業を盛んにした。
 このように伊豆沼は人の営みに様々な恩恵を与えたが、一方で、その沿岸は常に水害の驚異に曝されていた。

 戦後になり、戦争直後の食料難を解決するため、伊豆沼の周縁部では少なからず水田開拓が行われ、さらに水害を解消するため、沼に接続する河川や沼に堤防が築造された。
 現在、伊豆沼では富栄養化による水質悪化が問題になっており、写真のようにハスが広がる風景も、湖沼の底にたまった「ヘドロが育んだ」結果である。ハスの広がる湖沼の景色は美しいものだが、この過程を知る人にとっては、また別の風景に感じられるのかもしれない。伊豆沼のハスは年々、その広がりを大きくしている。

 地元の諸団体は、この沼の水質を改善するため様々な活動を展開しているが、水質悪化の根本原因には、「水害」といった湖底の定期的フラッシュが無くなったことがある。

 人が生きる、この土台には常に自然の改変がある。「生きる」という意味を、常に自然は人に問い続けているのだろう。





ハスを利用したクラフト作品
農家民宿「たかまった(宮城県栗原市)」にて(H21.7.25)



 万葉の頃、ハスは「ハチス」と呼ばれていたようである。そして上の写真のように、ハスの花托は蜂の巣と良く似ており、このことからハスの語源を

 「ハチノス(蜂の巣)」→「ハチス」→「ハス」

 とする説がある。



【江戸期の記録から】

◆以下、農文協発刊「日本農書全集18 民間備荒録・巻之上」
(宝歴五年 建部清庵 著)より引用

「はすの根」
 味は甘く、薬物としての性質は平で、毒はない。煮る場合、鉄の鍋はよくないので、銅の鍋を用いるべきである。酢を少し入れて煮れば黒色に変わることがない。また生の根を搗いて砕き、水に溶かして沈殿させ、陰干しにして、その粉を、だんごや蒸し餅にする。葉はよくゆでて、飯の中に入れる糅とすべきである。また、生のはすの根を煮るときは、わらの灰汁か消炭を入れて煮るとよいといわれている。
 
「はすの若葉」
 五、六月にとる若葉のことである。よくゆでて飯の中にまぜて食べること。
 
 「はすの実」
味は甘く、薬物としての性質は平渋で、毒はない。内臓を丈夫にし、気力を増進させるので、蒸して食べればはなはだよい。搗いて砕いて米にまぜ、粥か飯にして食べれば飢えをしのげる。また、米の粉をまぜて蒸し餅、だんごとして食べるのも良い。


【万葉集から】

 ひさかたの、雨も降らぬか、蓮(はちす)葉に、
 渟れる水の、玉に似たる見む

(意味)そろそろ雨でもふらぬものか、ハスの葉に滴く、水玉を眺めたいのにな。

(解説)ハスは、その大きな葉も魅力の一つかもしれない。梅雨の頃、除々に大きくなる葉の上にお釈迦様のようにカエルが乗っている。
 そんなカエルと睨めっこしていると、葉の表面を滴が流れていく。この歌は、そんな子どもの頃の情景を思い出させる。

 ハスは有用な植物で、その根茎がレンコンとして食用になることは良く知られているし、先に紹介した『民間備忘録』や『ハーブ万四集』では、種子や若葉も食用になるとある。
 さらに『ハーブ万四集』では果実、種子、花托は薬用に、種子は数珠にも用いられたと紹介している。

引用:「ハーブ万葉集」
    大貫茂 著/誠文堂新光社




注1)森と人との関わりに関係する記録を綴っています。
注2)黒文字は一般事項を、青文字は編者らの雑感を、茶文字は文献からの引用を記してます。
注3)場所の記載が無い写真は、宮城県加味地方の山林で撮影しています。

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